空中日記

日記というからには毎日書きたい

0116 禅問答は3分でカタをつける

どうもどうも。はじめた当初は毎日書いていたのがウソのようにこのブログを書くことから離れていました。

書きたいことはたくさんあるしたくさんあった。ここ二、三ヶ月でこの眼に焼き付けてきた色々はすごい。最近も仕事が終わればスタジオか酒呑み、休みの日には遠くへラーメン食べに行ってみたりやっぱり酒呑んでみたり。ある友人にも言われたけど、確かに一時期と比べると忙殺されているような感じがなくなりました。

結果、今はプライベートが忙しくて仕事してる場合じゃないなって思っています。ひねくれ者なのでね、同い年の連中が「俺らも年取ったな」的なことを言ってる傍らでどんどん下げていけたらと思ってます、自分の精神年齢を。

ただ、いきすぎて相当の迷惑をかけてしまったこともあった。酒弱くなったのか潰れる回数が格段に増えた。大人って自由っちゃ自由だけど自分のケツは自分で拭かないといけない。反省。気を付けようって思ってます、いや、ホントに、この場を借りて、ごめんなさい、どうにかして改めてみせますのでどうか。

子どものころから定期的に死ぬときの自分のことについて考えている。小学生の時にサスペンスドラマのラストシーンに使われそうな展望台の鉄柵に足が挟まって大人3人がかりで身体を引っ張っても抜けなくなってしまったときなんてそれはもう強く感じたものだったけど、最近だとそういうのではなく、翌日に楽しいイベントが控えているときの寝る前なんかがそう。はじまってもいないのに終わってからのことを考えて切なくなる習性どうにかしたいな。

ある方が、大切なイベントを翌日に控えたところでにツイッターかなんかで「私の命日は明日や!」みたいなこと書いてるの見て、そんなこと言うなって思ったことがある。まだまだアンタの創る音楽を聴いていたいんだよ!だなんてアンタのこと好きなひとらは思って当然じゃないか、と。

僕らや僕にそんな需要があるかはわからないけど、最高記録の更新を図るべくひたすら続けていくことにはきっと意味があると思い、それだけは信じてここまでやってきていた。死ぬときのことを考えたときにね、そこだけは外してくれるなよって結論にいつも至っているからだ。

またちょっとずつ書いていきます。当分は完全に忘備録ブログになりそうです。